心と親切心

寒いですね・・・・・

友達としばらく話をして、とても癒される自分に気がつきます。居心地の良い環境ってものですね。

同じ年で家庭を持ってる友達なんですが、何か癒される。

フト、「・・・なんでだろう。」と考えた時、自分の事を良く知ってくれているから。またその事で安心できて、相手を知ろうという気も自然に湧いてくる事に気がつく自分。話を聞いて貰って、話を聞いて。まぁ同じ男なので・・・男だからかどうかは知りませんが、お互いに比べる事もなければ過ごした青春も考えることもほぼ同じです(苦笑)

相手は決して気を使わないし、こちらも使っているつもりもなく・・・・・

相手が親切であるかと言えばそうでもないが、こちらも親切ではない。

ただどこかで共通の意識があるのか、どこか一部分で認め合っているのか、親切心はなくとも「心」があります。そこまで考え、さらに我に返った時、はたして他の方にもこの心を通じ合わせられている自分が居るのか?・・・・・それは相手に聞けることでもなく、はなはだ不安ですが、おそらく「モノと人との間」にも心はあるのではないかと考えています。

せめて自分が扱うモノぐらいには心を通しておきたいものですね。

コメント

あき :

kamidanaya様

心を配るとは、今その人の求めていることは何かを考えられることかなと思います。

とりあえず、自分の気持ちを整理したいから話を聞いて欲しいとき。

行きづまってヒントが欲しいとき。

気分転換がしたいとき。

あまり触れないで欲しいとき。などなど

同じ人でも時と場によっては違います。

それが自然に感じとれるのかなと…

私が考える運命の人とは、共に成長していける方だと思います。
片方に頼るのではなく、この方に恥じないようにと成長していく勇気が貰え、与えられる方

親切とは何か?
調べてみると、「親」も「切」も相手の身近に寄り添って手助けをするという意味合いになるらしいです。

手助けは有り難いのですが、時としてその人の成長を妨げてしまうときもありますよね。
人は経験して覚えていかなくてはならないものもあります。

となると助けてあげたい気持ちをぐっと 抑え、見守ることがその人のためになることもあるのです。

もちろん潰れかけているときは、寄り添い手助けすることも必要です。

でも、できないからと決め付けて、いつもしてあげていたら、自分で考えようとしなくなりますよね。
時間はかかりますが、潰れないよう励ましや、ヒントを出す。自分で出来ることが増える楽しみや自信にはかえられないものがあります。

みんなで成長したいですね。

kamidanaya :

あき様
おっしゃられている通りですね。あんまりガチガチに考えてしまうと疲れる自分が居ますので(笑)気づいたら傍に居て、気づいたらそっと手を差し伸べれる人間を目指しています。お互いにそれが自然に出来る間柄が一番、ホッとするんじゃないかと自分が一番好きな空間です。

あき :

kamidanayaさま

大切なことを忘れておりました。
Kamidanayaさまのおっしやるとおり、相手が知りたい、相手に知ってほしいという気持ちがあり、成り立っていることを忘れてはいけないですね…
所詮は他人。
考え方は違います。
何もせず理解しろとは無理な話しです。
まず自分が何かしらのサインを出さないといけないですよね。
最初は言葉も必要かもしれません。
聞いて…だったり、ごめんね。今は無理…だったり
それがいつしか、キラキラした瞳と、虚ろな目で気づいてもらえるようになる。
そのサインが知りたい 理解したいと思ってもらえ、それが自然にわかられるようになったからこそ、はじめてその空間が出来上がるのだと思います。
自分が作っていく。この意識が大切なのではないでしょうか。

kamidanaya :

あき様
「自分が作っていく。」・・・・その通りだと思います!時には喧嘩があって、時には慰め合いがあって、その中で解り合える過程が大切なんじゃないかと。摩擦を恐れていたら「心の部屋の引き込もり」になっちゃいますよ~あきさん、ファイト。

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