日々の祈り・・・これはご自由で結構ですよ。あなたご自身にお任せします。
基本の考え方や心構えがあれば、特にそう神道の祈りとは形式に縛られるものではございません。
ただし敬いを持つことによって出来あがった、伝統によって守られているルールはいくつかございます。まずは「二礼二拍手一礼」です。二回頭を下げ、二度柏手(かしわで)を打つ。
店主の場合はここで「天津祝詞」を奏上いたします。これも必ず覚えなければいけないものでもございませんし、最初は文字を目で追いながらでも結構です。これは神様に対する「正式な挨拶」の様なもの。これを数回奏上し、そこから“祈り”に入ります。
ではその“祈り”とは。
“祈り”とは“お伝えさせて頂く事”。ここで最初の「心構え」に戻って頂きたいのですが、神々様への感謝と一緒にもう一度、自分の心と向き合ってみる。
向き合い、新たな気持ちをお伝えする。「祈り」と呼ばれる時間を使ってです。
「何を伝えるのか」
これも参考までに・・・店主の神棚に対しての祈りとは、まず今“自分が”ある事への感謝の気持ちですね。そして、これから先の人生に置いての目標や目的を明確にする事。そこへ向かうには何が必要なのか、何が足りないのか(手段というより心構えですね)、反対にどんな気持ちが邪魔をしているのか(内心を見つめ直す事によっての反省ですね)これをゆっくりとした時間の中で神々様と向き合い何度も改めさせて頂く。
「祝詞」とは言霊的な意味合いも多分に含まれておりますが、その効果を求められる方には何も変わらないと思います(笑)
人間の祈り(念)とは物体がないそのものに力が宿るものですが、祝詞自体は動かない壁を動かす特効薬のような呪文でも何でもありません。そこに今までの自分の反省があって、更に次に向かう向上心があって・・・日々の努力の積み重ねと前に進む勇気が出てくる。
このすべてを総称して店主は「祈りとは願うことだけでなく、お伝えする事、総じて“宣言すること”なんですよ」とお伝えさせて頂いておりますが、これがすべて揃ってはじめて「祈り」になるのではないかと考えております。
「一日に3時間祈らせて頂いております。」
これはこれで素晴らしい事だと思います。ただし、それで何かを期待したり、「現実は何も変わらない・・・」と不満に思われている方々は、祈りの時間を1時間にして後の2時間は現実の社会で勇気を持って何事にも共感する事や好奇心を忘れず挑戦して頂いた方が、短縮した一時間の祈りでも意味が深いものになってくると思います。
幸せは待っていても来ないし、欲しいものは空から降ってくる訳ではありません。自分達が歩いて、はじめて神々様とは手を差し伸べてくれたり、方向を示してくれたり、背をそっと押してくれたり、道行く障害や災難を知らずして祓ってくれていたりと・・・
最初に書いておりますが、「神様への感謝」
これは実感しないとなかなか本当の感謝は難しいでしょうし、(生きているだけで感謝の心をお持ちになれる“心構えや考え方”が出来あがっている方は別ですが)その為には私たちがまず実際に動く事、行動すること。実感すること。これが大切ではないかと思います。
そしてその決意や想いを神様に伝えることが出来れば、それはいい祈りだと言う事ですね。
神棚の設置⑧ 日々の祈り
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初めまして、携帯の検索にて『神棚』でヒットして拝見させて頂きました。訳あって、神棚を祀らさせて戴く運びとなりましたが、知識が少なく若輩者で,こちらを拝見させて頂きいろいろ勉強させて頂いたので、感謝の気持ちを込めて、コメントさせて頂きました。ありがとうございます。これからも、私のような者達のため、いろいろ神事を伝えてくださいね。(^人^)それでは、コメントにて失礼致しますm(__)m
F.Mさん
はじめましてF.Mさん。コメントありがとうございます。私も日々、お客様と一緒に学ばせて頂いております。今後ともよろしくお願い致します。